きっと、いつかの物語

現実と妄想をごちゃごちゃオタク

心臓を掴む

「お疲れ様でしたあ〜〜」

私の隣で友人がニコニコと手を振っている。視線の先を追うと両手でこちらに手を振る先輩がいた。

「お疲れ様でした」

軽く会釈して私はささっとエスカレーターに足を乗せる。

 先輩は、人気者だ。私の後ろでは友人が未だに先輩の両手振りを受けたことで色めき立っている。プラットホームに立つと先輩が真ん前にいる。ぼんやりとしているが、また両手を振っているのだと思う。友人が湧き立つ。かわいいかわいいと言い合っている。それをチラ、と横目に入れて前にいる先輩を見る。笑っている、のだと思う。目が悪いからよくは分からない。でもそれで良いと思う。人の顔なんてよく見える分だけ気持ち悪くなる。

 先輩がいるホームに電車が来る。こちらに近いドアの前に立ち先輩は両手を振り続ける。友人がきゃあきゃあとはしゃいでいる。私は先輩を一瞥して軽く会釈をした。

「先輩可愛かったよね!」と友人達が盛り上がる。可もなく不可もなく、適当に相槌を打つ。笑顔は、出来ていると思う。表情筋の操り方は高校の頃に取得した。じゃあね、と友人が電車から降りる。バイバイまた明日、学校でね、笑顔で私は手を振る。友人も笑顔で手を振る。

 先輩のことが嫌いなのではない。ただ何となく、他の女の子みたいに笑顔で接することが出来ない。我ながら態度は悪いと思ってはいる。苦手意識、と言って良いのだろうか、微妙だ。あるようでなかったり、ないようであったり、刻々と変化しては意識の渦に呑まれていく。

かわいくない、と無意識に零していた。ハッと自覚して視線を落とす。可愛くない可愛くない、可愛げがない、かわいげがないかわいげが、ない。高校の頃先輩に言われた言葉だ。静かに入った更衣室で先輩たちが話していた。

苦手なのだ、愛想を振りまくということが。相手の期待する通りに行動しなければならないことに抵抗がある。今回の場合は全然そう言うことではない、のだけれど。

携帯を見る。LINEが来ている。あの子、やっぱり先輩にベタベタし過ぎじゃない?至極どうでも良いと思う。まぁ帰る方向が同じだからね、と返す。友人は先輩に好意を抱いている。本人はファンがアイドルに向けるそれと同じだと言っているが、私には恋愛対象に向けるものにしか見えない。だからか、友人は先輩に話し掛けた女の子の行動を過度に意識している。今は、帰る方向が同じの、学年内でも散々言われている子がターゲットになっている。面倒だ、と思ってから心の底が冷え冷えとしていく感覚を自覚する。本日の営業は終了です、と心の中で口にしてスイッチを切る。こうなると私は世界に一人だけになる。携帯の画面が光る。さっきまで一緒にいた"物"だろう。私はそれを無視してゲーム画面を立ち上げる。明日の朝、電車に乗るまで返信をすることはない。どんなに緊急の連絡であってもだ。スイッチを切った私には、自分以外の物に配慮するリソースが残っていないのだ。

突然顔の横に手を付かれ視野が一気に狭くなった。前を見ると20代前半であろうか、ヘラヘラと笑う男性と、同様の5〜6人程のグループがいた。酒気を帯びている様には見えないが、酒に酔っているのか、冗談のつもりかどちらかなのだと思う。生憎今日の営業は終わった。他人に良い顔をする気力はもう無い。無表情で目の前の有機物を見る。ヘラヘラとした顔が一瞬強張って怪訝なものへと変わる。男性の後ろでニタニタと笑っていたグループを一瞥する。全員が困惑した表情を浮かべ何か気味が悪いものでも見たかの様な目をしている。「君の人を見る目は実験に使う道具を観察する目だよ」と言ったのは誰だったか、それらに興味を無くした私は視線を下に、ゲームを再開した。そそくさと男性たちが離れて、隣の車両に行ったのが分かる。変わらずゲームを続ける。車両内の意識がこちらに向いているのが分かる。私は変わらずゲームを続けた。

目を覚ます。大学に行く。メッセージに返信をする。友人から話し掛けられる。アホなことをして笑う、何でもないことでも笑う、笑う、笑う。大方大学では情緒が上向きで不安定であり、大抵笑っていて溌剌とした人間として認識されている。帰宅中、先輩と友人と帰る。先輩が手を振る、友人が色めき立つ、その中で一人、上手く笑えずぎこちなく動く。友人が陰口を叩く。友人と別れる。スイッチが切れる。メッセージを無視する。

「ねぇ、あの先輩の前だけ、上手く動けないんだけど」とメッセージを送る。相手は、私を感情が抜け落ちた様な人間だと形容した、人の隠したい部分を引き摺り出して目の前で楽しそうに広げて笑う人間だ。そして、私の世界に来ることが可能な唯一である。送り付けて、画面を見つめる。5秒後に既読が付く。あいつは私と同じで中々返信が来ない。でも、面白そうな話は直ぐに反応する。あいつの周りの人は、あいつは携帯を滅多に使わないと思っているらしい。違う。あいつは携帯を肌身離さず持っていて、常に通知画面を把握している。あいつが反応しないのは「つまんないから」だった。だから、こんなに面白い"ネタ"に、直ぐに返信が来ることは分かっていた。

そんなんじゃないよ、と言われる。そんな可愛いもんじゃない。続けざまに寄越される言葉を、私は黙って読み込むことしか出来ない。

そ〜んなことじゃないよ、あんたはどうせ「愛想を振りまくのが嫌だ〜」とか何とか言ってんでしょうけど違う。あんたはね、その先輩とやらの心が欲しいの。誰にでも笑顔を振りまいて、誰からも慕われて誰にでも優しくしちゃう先輩の、みんなにあげちゃう心を、あんた一人だけに欲しいんだよ。どう?怖いよねぇ〜自分が。欲深いと思わない?てか、あんただって本当は気付いてんじゃないの?

ムカつく、と思った。本当は、薄っすら気付いていた。だけれども自覚したくなかった。「でも私先輩のこと恋愛的な意味で好きじゃないし」と送る。

そりゃあそうよ、と来る。あんたは信頼されたくて、頼られたくて、一人だけ特別にされたくて、でも実際そうされたら満足。その後に続く何かしらの関係は鬱陶しいだけ。だって、あんたは他人から心を預けてもらったらクリアのゲームをしてるんだから。異論は?

ーー異論なんて、無い。実際そうだと思う。でもこの高圧的で高飛車な態度は嫌いだ。だから「ムカつく」とだけ送っておいた。

フフ、とテキストが送られる。今彼女は画面の向こうで口を歪ませて、それでいて綺麗に笑っているのだろう。

な〜に可愛こぶってんのよ、自覚したくない気持ちをちゃあんと自覚して、それを操って遊ぶのが人生でしょ?あんたはどうせ、シェルターの中に閉じこもって誰も入れない人間なんだから、そこんとこ肝にでも銘じてその内側から外側の物の大切なココロでも、奪っておけば良いのよ。

私は一言、邪悪な奴め、とだけ残して携帯を鞄にしまった。