きっと、いつかの物語

素敵になればいいね どんな未来も

切り捨てて良い欲望

「私ね、結構めんどくさいよ。誰かが話しかけてきたらウザいってキレるし逆に来なかったら来なかったでなんで来ねえんだよ!ってキレてその人とは一生バイバイだもん。」このように目の前の女性が話すのを私は聞いていた。正確に言えば、聞いているフリをしていた。彼女はクラスメートであり、かつて私が大切にしたいと思っていた人であった。しかし私はもう彼女のことを大切にしたいとは思っていない。「好きな人には私のことずっと考えててほしいし、私のことでずっと悩んでてほしいもん。」と言うところの彼女の、この手の話はこれで4回目だ。そして今彼女がこの話をするのは最近の私が冷たいから、"これ以上私を良い気持ちにさせてくれないんだったら関係を切るよ"といった警告なんだろう。彼女はこう言えば私が自分の意のままに動くと思っている。それは以前の私が他人の欲望を読み取り、自分の感情を誤魔化すことが得意だったこととも少なからず関係はあるのだろうけれど、私はもう自分の感情に忠実に生きることに決めたので、彼女の欲望は叶わない。彼女が髪の毛を引っ張ろうが勝手に携帯を弄ろうがお金を取ろうが私は何ら反応を見せないので彼女が私に見ていた/私が彼女に見せていた幻はもう無いのだ。彼女が私に求める欲望は切り捨てて良いものだと私は判断した。彼女はいつも笑っている私が好きだったのではなかった。彼女が本当に好きだったのは"自分が優位に立てて、日々自尊心を満たしてくれる誰か"だったのだ。そういった精神を私は卑しく思う。そんな卑しさのために私が自分の感情に嘘を付いてまで彼女に尽くす必要はない。彼女は話続ける。私はそれをぼんやりと眺めていた。

彼女は何を望んでいたのか

先輩、サクラの事、どう思います? ぼうっと歩いていると後ろから追い付いた後輩に声を掛けられた。私は怪訝な表情を浮かべ、どうって?と聞き返す。こういったものは大抵が陰口を言いたい場合とおちょくりなどで好意的な言葉を聞きたいという2つのパターンであると思っている。彼女は後ろを何度か振り返り声を潜め、どうってあの、ほら、嫌じゃないですか?と聞いた。私はサクラに関して嫌だと思ったことが無かった。確かに価値観は違うがお洒落に気を遣い、甘いものが好きで、自撮りなどをよくする、そんな若い女の子だと思っていただけだった。そしてそんな彼女を可愛いと思っていた。でも違うらしい。聞けば、音楽を聴きながら挨拶をする、チャラチャラしていて何一つ真剣にやろうとしない外見重視の性格が嫌だ、と言うのだった。私は彼女の話に賛同出来なかった。それらを話す彼女の言葉には嫉妬や羨望、劣等感が渦巻いているように思えてならなかった。羨ましかったのだろう、可愛くて沢山の男の子と仲が良くて少しだらしなくしていたところで傷一つ付きやしない彼女が。悔しかったのだろう、自分がどんなに頑張っても手を抜いてる彼女に追いつけない事が。気持ちは分かる。私も昔はそういったものに捉われて心が廃れた時だってあった。だけど、そうやって裏で仲間を作って自分を安定させようとする事が一番自分と彼女を遠ざける理由というのにどうして気付けないのだろう。彼女の話は一見正しい事を言っているように聞こえる。だけどそれは違う。彼女は自分の感情をそれらしい出来事の下に隠してサクラを陥れようとしただけなのだ。こうした事はとても多い。世の中には自分の感情を理論的に組み変えて正しい事を話しているように見える人は沢山いる。そしてそれに賛同する人もとても多い。

結局、サクラはいなくなった。彼女が裏で作ったグループからの嫌がらせに耐えられなかったと聞いた。数日後、彼女が私の所にやって来て一言、こんな筈じゃなかったんです。と言った。私は正直驚いた。なぜなら彼女はサクラに消えて欲しいと思っているのだと感じていたから。私は心の中で語りかける。暴力が一番美しいと言われるのと同じように、負の感情で結び付いた人達はとても強いよ。けれど、そこに齎される効果というのは、ほんの少しのものなんじゃないかな。そして、この結末はあなたが持ってきたものだよ。あなたは何を望んでいたの?と。

独裁政治のような、幸せの統一化について

変わるんだなぁ、とふとした瞬間に思った。少し前まで私は、みんな正しくラリっていれば気楽に生きていけると考えていた。そして私はそれを実行していた。面倒な事はどうでも良いと投げ出し、好きな物だけに打ち込み、いつも脳内を麻痺させていた。私の周りには気が短い人が多かった。ほんの少しの些細なことでイライラし、表情や態度にそれが表れるような人が沢山いた。でもそれは珍しい事ではないのだろう。私は沢山の物事を経験してその事を理解した。もっとみんなアホみたいにいれば幸せなのにね、と言ったら友人に、あんたってそんな酷い人だったんだ、うわー最悪。こっわ!と言われてしまった。私は最初それが理解出来なかった。私にとってはその考えが一番素晴らしくて良いものに思えていたから。どこが最悪なの?と聞くと、それって幸せの統一化だよ。あんたは人の幸せを勝手に枠に押し込んで決め付けてるんだよ、独裁政治。と言われた。独裁政治、と私は反芻した。友人は、そう。独裁政治。と言った。なんだかその単語は私の心にザラリとした感覚を残した。でも私は、彼女が言ってる事は間違いだと思った。

それから、私は忙しくなった。自分には全然優しくなれないし、可愛がろうとも思えないし、スケジュールは埋まっていく一方だし、体調を崩しても休みは無いし…といった具合に。そしてある時に言われた。忙しいのは幸せな事だからね、この有り難みをちゃんと理解しておくのよ。と、私はひどく怒った。それはあなたの幸せであって、私の幸せでは無いし、それはあなたの感性であって私には当てはまらない。こんなのは独裁政治だ。と思った。そして過去の対話を思い出して気付いた。ああ、なんて未熟で浅ましく恐ろしい事を言っていたんだろう、と思った。友人が言っていた事は正しかった。私は自分の物差しで他人に幸せを押し付けようとしたのだった。全く酷い事だ。でもそれはこの世界にはまだ沢山あるんだろう、と思う。自覚していないだけでまだ沢山あるんだと思う。別にそれを全て見付けてどうこうしようとは思わない。けれども、それで苦しんでる人が居るのなら言ってあげたい。それは、あなたの考え方であって人に押し付けるものでは無いよ。そしてそれは独裁政治と大して変わらないし、そんなのは、とっても酷い事だよ。と。