安全地帯のあの子と、私
「今年はあの人に送らなかったの。」
すっきりした様な彼女の言葉に私は思わず眉根を寄せた。
「どうして」
ふふ、と彼女は笑って「だって、なんだか、つまらなくなったんだもん」と言った。まるで天使の顔した悪魔のようだ、と私は思う。面白い/面白くないで復讐を決めるなんて、そんなの、悪魔がやる事だ。
「つまらなくなったって」
どう言う事なの、と聞こうとしたら彼女が口を開いた。
「わたし、多分、あの人のこと全く恨んでなかったの。だからああやってずっと縛られてるの、面倒くさ〜って思ってさ」
彼女は嘗て沢山の人から傷付けられていた。そして、誰も彼女を救ってくれなかった。私と彼女が出会った最初、彼女は常に復讐の方法を考えているような子だった。
彼女は先輩に「イジメていた」と言う認識をさせ、毎年誕生日にメッセージを送り、絶対に忘れさせないようにしていたのだった。それが今年は送らなかったらしい。
「恨んでなかった?」
「うん」
随分と阿保面で喋ってくるな、と感じる。そう言えば、彼女は他人に自分を馬鹿だと認識させるのが得意な女の子だったな、と思い出す。そして刃物を振り下ろした人間に復讐をする、そんな事を楽しむ子だった。
「多分ね、自分が可愛かったの。可愛くって大切にしたくて、してほしくて、でもそれが叶いそうにないから、可哀想で悲しい被害者になる事を選んでたの。そしたらみんな大切にしてくれるから。だけどね、気付いちゃったんだ。悪意には悪意しか集まってこない。わたし中心の陰口会が始まるだけだった。それにね、わたしあの人の事何とも思ってない。確かに怖かったし泣きそうになった事も沢山あったし辞めちゃいたいって思った事も多かったけど。それでも、傷付けられたとか、全然」
「本当に?」
「本当」
「私に嘘はなしだよ」
彼女は嘘を吐くのが得意だ。自分を思い込ませることなんて、尚更。
「…本当は、あれが半分」
「もう半分は?」
言いなさい、と視線を下げた彼女の視界に入る。
「健全になりたかった」
「へ?」
予想もしなかった言葉に変な声を出してしまった。
「健全、って?」
「健全は健全」
「意味が分からない」
「だって、こんなの、全然健全じゃない。こんな、復讐が楽しくって自分を可愛がりたいからって嘘吐いて人を攻撃するなんて、全然、健全じゃない、普通じゃないじゃん」
「確かに」
「そこはなんか否定してほしかった」
「ごめんごめん。でも、確かにちょっと健全じゃなかったかもね」
私達は互いの暗い部分を共有していた。だから、あんまり気付けなかったのだ。
「わたしね、自分が吐いてきた嘘でどれ程人を傷付けたのか、最近怖い。もう、安心したい。安全な所に行きたい」
まるで小さい子供が親とはぐれた時のように不安そうな顔で彼女が弱音を零す。
「行けるよ」
だって、彼女が優しい事を私は知っている。他人を守る方法を考えた結果の嘘吐きである事を、私はちゃんと理解している。
「大丈夫」
傷付く事の痛みを知っている彼女なら逃げれるはずだと、強く思う。
「一緒に、安全地帯に、戻ろう」
「うん」
彼女みたく、意識的に他人を憎み続ける人が一定数いるんだろうな、と思う。自分が可愛いとか、もっと見てほしいだとか、理由は其々だと思う。「傷付けられる痛みを知っているはずなのに、傷付ける道を選んじゃったのが嫌だった」そう話す彼女のこれからが明るくなれば良いと願う。
「私たちみんな、救われれば良いのにね。」