きっと、いつかの物語

現実と妄想をごちゃごちゃに

独裁政治のような、幸せの統一化について

変わるんだなぁ、とふとした瞬間に思った。少し前まで私は、みんな正しくラリっていれば気楽に生きていけると考えていた。そして私はそれを実行していた。面倒な事はどうでも良いと投げ出し、好きな物だけに打ち込み、いつも脳内を麻痺させていた。私の周りには気が短い人が多かった。ほんの少しの些細なことでイライラし、表情や態度にそれが表れるような人が沢山いた。でもそれは珍しい事ではないのだろう。私は沢山の物事を経験してその事を理解した。もっとみんなアホみたいにいれば幸せなのにね、と言ったら友人に、あんたってそんな酷い人だったんだ、うわー最悪。こっわ!と言われてしまった。私は最初それが理解出来なかった。私にとってはその考えが一番素晴らしくて良いものに思えていたから。どこが最悪なの?と聞くと、それって幸せの統一化だよ。あんたは人の幸せを勝手に枠に押し込んで決め付けてるんだよ、独裁政治。と言われた。独裁政治、と私は反芻した。友人は、そう。独裁政治。と言った。なんだかその単語は私の心にザラリとした感覚を残した。でも私は、彼女が言ってる事は間違いだと思った。

それから、私は忙しくなった。自分には全然優しくなれないし、可愛がろうとも思えないし、スケジュールは埋まっていく一方だし、体調を崩しても休みは無いし…といった具合に。そしてある時に言われた。忙しいのは幸せな事だからね、この有り難みをちゃんと理解しておくのよ。と、私はひどく怒った。それはあなたの幸せであって、私の幸せでは無いし、それはあなたの感性であって私には当てはまらない。こんなのは独裁政治だ。と思った。そして過去の対話を思い出して気付いた。ああ、なんて未熟で浅ましく恐ろしい事を言っていたんだろう、と思った。友人が言っていた事は正しかった。私は自分の物差しで他人に幸せを押し付けようとしたのだった。全く酷い事だ。でもそれはこの世界にはまだ沢山あるんだろう、と思う。自覚していないだけでまだ沢山あるんだと思う。別にそれを全て見付けてどうこうしようとは思わない。けれども、それで苦しんでる人が居るのなら言ってあげたい。それは、あなたの考え方であって人に押し付けるものでは無いよ。そしてそれは独裁政治と大して変わらないし、そんなのは、とっても酷い事だよ。と。